第64回角川短歌賞候補作
頂にふたつのとんがり見せながら筑波の山の秋深まりぬ
湖のほとりに暮らす夢を持て移り来たれり霜月十日
蔵を持つ屋敷つらなる道沿いを板塀の筋なぞりて歩む
うなぎやの裏口外にカラフルなピンチに吊され骨干されおり
霧多き町なりここは子の肩をひきよせながら足早に行く
おでんはもう作るなと君に叱られて作らぬままに十年過ぎたり
会いたいと願う気持ちが万華鏡覗くごとくに押し寄せてきつ
ちからよく走り書かれた君の字をただただなぞる毎日なのです
「息子さん、整とん係やってます」キラキラネームの担任は言う
うちの子が列を乱して困るという議題あがりて保護者会沸く
マリーナにひしめくヨットはしだいしだいあかがね色に染まりゆきたり
熊本の友おもいつつ太平燕なべに煮ており秋の終わりに
ポータブルゲーム機にポケットモンスター呼び出して子は戦いはじむ
ソルガレオにはパパがのりうつってんだと意気込んで子は悪役を倒してしまう
どれくらいパパは強かった? ソルガレオくらい? 興奮しつつ何度も訊きたり
いつかともに湖のそばに暮らさむと君言いたりき言いて果てたり
クーピーもて箸の上げ下げ練習す「行儀いがっぺ」と褒められし子は
湖に波の立つ午後ひっそりとソルガレオのこと調べておりぬ
とつぜんに視界は途絶ゆ霧雨に包まれながら坂つづきおり
筆箱にえんぴつの芯すぐ折れて小型ナイフをそっと入れやる
アルカリ乾電池を入れて作動するヒーロー玩具のけたたましけれ
庭に出てなわとびしつつ子どもらは「ウケる」「ウケる」と笑いあいたり
鳥さえも鳴かぬ季節にたたずみてすぐ暮れてゆく空を見ており
ポロナイスクに住みたるひともいるらむか真冬をいかに過ごしいるらむ
満月を見上げておりぬ欲望はわたしをたちまち灰色にする
子とともにいっしょうけんめい育てこしクワガタはみな冬ごもりして
クワガタと二度目の冬をともにせり目覚めるまでをしずかに待たむ
草むしりも落ち葉かきもしなくてよし窓辺に座る日の多き朝
「ハンバーグランチをひとつ」描かれし湖畔を見つめながら声にす
ここのシェフは氷川丸近くのホテルにて修行積みしとひとづてに聞く
手袋をはめたままの手で本を繰る三叉路に下校せる子待ちつつ
これ以上の寒さがあるのか来週は大き寒波の居すわるという
幕末に関する本を読み終えて雪踏みしだく 君に会いたき
うわばきを持ち帰りて子は「明日から学級閉鎖だからよろしく」
都会にて育ちし息子は暖房を効かせた部屋にねころびており
日だまりを手に入れなくては 死にぎわに君と抱きあうことを夢みて
葉を落としきった枝々ちぢみおり氷室にいるみたいに白く
夏のあいだ楽しんだカヌーが軒先に立たされており亡霊のごと
駄菓子屋と小鳥屋営むばあさんが未明しずかに亡くなりました
平らかな森抜けゆけばたちまちに湖面あらわる幸せたれと
一年じゅう空にありたるキリン座と冬に死にゆく人々の影
うす黒くぬめる水面に船はなくしらじら月のかたぶくが見ゆ
このアルマニャックをさいごに酒を断たむ寒きに花を咲かす木もあり
雪が天からの手紙というならばわれは地からの罪状である
もみの木にベツレヘムの星かがやけり前世紀末もこんなだったか
「最後にお会いした日のあなたより年上です」記せば波打つうすき便箋
正月に食べるいちごはすっぱくてモロッコのかたち地球儀に知る
大根の一本漬けを持ってきてくれる近所のパーマ屋さんが
起きぬけの南の窓に陽は低く細く鋭く長く射したり
まちじゅうの門松いっさい仕舞われて今わがうちに灯る熱情