Essay
エッセイ

ドクガエルを踏む

――ぐにゃり。

またこんなところに、こんなものを転がして!

足の裏にぺたんとくっついたドクガエルのフィギュアをつかんで独りごつ。

背は鮮やかな色のまだら模様で、腹は淡いピンク色をしており、手足もひじょうにリアルで目玉やその視線にいたるまで丁寧につくられている。大きさはといえば、私の親指と人さし指でつくった輪を抜けられるくらいのものである。

昨年の夏、3歳の息子をつれてサンシャイン水族館に行ったときのこと。

水族館の屋上に住むアシカの泳ぎやペンギンの歩みを眺めながらビールが飲めるというシチュエーションに魅せられ、この「サンシャイン南国ビアガーデン」を目当てに息子をそそのかし訪れたのである。

あでやかな熱帯魚やゆったりした風貌のマンタ、つやつやきらめくイワシの大群、ふわふわ浮かぶ幻想的なくらげなどを順路どおりにみて歩き、さて、そろそろ目当ての屋上に出るぞ、というくだりに「がちゃがちゃ」が立っていた。「がちゃがちゃ」とは、小さなおもちゃを拳大のカプセルに入れて売る、小型の自動販売機のことである。

たいていの子どもは「がちゃがちゃ」が好きであろう。私も幼いころはそうであった。
ドリンクの自動販売機とは違って、カプセルの中身は選べない。
何が出てくるかは天まかせ、というところも、子どもごころをくすぐるのだ。

息子も例外ではなく、この日も「がちゃがちゃ」と対面するや喜びの声をあげ、私に300円をねだるとコイン投入口に百円玉を3枚入れて、うれしそうにレバーをガチャガチャひねっていた。そこで落ちてきたのが、まだら模様のドクガエルだったというわけである。

息子はこのドクガエルをいたく気に入り、2杯のカルピスで私のビールに付き合ってから大事に大事に家へつれ帰った。

こうして我が家のアイドルとなったドクガエルは、遊ぶときもお風呂に入るときも眠るときも息子のかたわらにいた。保育園にもいっしょに行き、教室に着けばそっとリュックの外付けポケットに隠す。

そうして、ドクガエルとともに暮らす生活が当たり前になっていった。

ところが、ここのところ扱いが粗雑になってきた。少しも世話をしないのである。

もちろんフィギュアであるから食事や風呂の世話までしてやる必要はないのだが、せめて寝かしつけ(片づけ)る必要はあるだろう。遊ぶときだけ手前勝手に引っ張りまわすなんていかんだろう。
と云いたいわけである。

そこで、こうつぶやくのだ。

――まったく! こんなところに、こんなものを転がして!

(2015年)