Essay
エッセイ

おいしいミステリ、まずい短歌

ミステリ小説を読む楽しさを私に教えたのは、石持浅海の『Rのつく月には気をつけよう』だった。きれいな酒瓶の描かれた表紙に惹かれて読みはじめ、おいしそうな場面にずんずん引き込まれていった。

これがミステリだと知ったのは、読み終えたあとずいぶん経ってからである。

石持浅海のほかの作品を読むうち、彼がミステリ作家だと確信してのことだ。4冊めであったか。

それまでは、ミステリ小説には被害者と加害者が出てきて、動機や証拠を探るひとや罪をあばくひとが話を展開していくものだと思い込んでいた(読んだこともないくせにね)。

だから『Rのつく月には気をつけよう』がミステリだと知ったときは、正直ぶったまげた。

おいしくって、幸せで、ひとが死なないんですもの。

そんなのって変。

ともあれ、はじめて触れた作品で、それまで抱いていた先入観が一掃されたことはとても幸運だった。

おいしくて幸せで、ひとが死なないミステリ。いかがですか。

それからというもの、これまで敬遠していたミステリ小説を少しずつ読むようになった。面白いなあ、と思うのは、ミステリ小説には、おいしい場面がたくさん出てくることである。

そしてさらに不思議な現象が起きた。おいしい場面が出てくると、決まって短歌をつくりたくなるのだ(料理ではなく)。

さらにおかしなことに、おいしそうな場面の隣りに書きつけた短歌は、ちっともおいしそうでない。

   食べかけのつくねを串に刺したまま指揮棒のごと振りかざす友 / 鑓水青子

(2015年)