Essay
エッセイ

ふだんの暮らしが旅である

私の通勤かばんは重い。その重さ、実に旅行かばんさながらである。重量だけを勘定すれば、4泊5日ほどの旅に出られそうである。それならばいっそ、まいにち旅をしていると思おうか。観光先はオフィスとその周辺、宿泊先は自宅である。

さすれば、かばんのなかにはそれらしきものを詰めねばならぬ。歯磨きセット、洗面セット、メイク道具、カメラ付き携帯電話、雨具、弁当、水筒、財布、保険証、乗車券、読み差しの本。旅先で仕事をしたくなったときのためにノートパソコンも入れておく。ほうら、だんだんそれらしくなってきたろう。

そうして毎朝、この旅行かばんを提げて子とともに隣町の保育園まで歩き、子どもを保育士に預けたあとはひとりで駅へと向かい、山手線に詰め込まれ、乗り換えの駅で放り出されたのちにこんどは小田急線に詰め込まれ、26分ほど経ったところで目的の駅に放り出され、よたよた歩くうちにオフィスへたどり着いているという具合である。

オフィスではわき目もふらずしゃにむに働き、ときに外の空気を吸いに出て(名物のカレーを食べたりもし)、日が落ちるとふたたび小田急線に積まれ運ばれてゆく。そして朝とは逆の経路をたどって子と涙の再会を果たしたのち、ふたりぶらぶら宿に向かうのだ。

宿に着いたなら、嗚呼、今宵も安心して眠れる場所があって幸せなことであるよと、旅行かばんからおもむろに洗面セットなんぞを取り出すのでございます。

このように、まいにちおなじ旅を繰り返している私はささやかな旅人と云えましょう。日常に飽き飽きしているあなた方も試してみられてはいかがか。

というわけで、私からの提案はこれにておしまい。嗚呼、本日もまことにけっこうな旅であったことであるよ。

(2014年)