Essay
エッセイ

ニクーリンのサーカス

母から絵葉書が届いた。宛名は息子になっているが、この、サーカスを描いたマルク・シャガールの絵には見覚えがある。母は私が実家に残してきた絵葉書のコレクションをせっせと活用しているようだ。

サーカスと聞いて思い出すことがある。

モスクワで暮らしていたときのこと。どうしてもニクーリンのサーカスが観たくてチケットブースに寄った。ロシアのチケットブースは、日本の宝くじ売り場のごとく街なかのいたるところにあり、あらゆる劇場での公演チケットやスタジアムでの観戦チケットを売っていた。ロシアの劇団やバレエ団、オペラ、オペレッタ、楽団は必ずといってよいほど専用の劇場を持っており、もちろんサーカスも例外でなく、ニクーリンのサーカスにはニクーリン劇場、ボリショイサーカスにはボリショイサーカス劇場がある。

電話ボックスを少し広げたようなチケットブースのなかには、決まって早口でふくよかなおばさんが窮屈そうに座っている。

「ニクーリンのサーカスを観たいのだけど……」と切り出す私におばさんは「ニクーリンは地方ツアーに出ちまったから、あそこに行っても誰もいないよ。ボリショイサーカスになさい」とまくしたて、「どの席がいいか」とたたみかけた。ニクーリンはいつ戻るのかと訊くと、当分帰らないと言う。仕方なくボリショイサーカスの当日券をもとめた。「いちばん前の席を」と言ったら、前から6列目の席を用意してくれた。

渡されたチケットをポケットにしまいながらくるり踵を返すと、すぐ後ろに並んでいた見知らぬ美女に「ボリショイサーカスのドーナッツは最高よ」と声をかけられる。ええ、知っていますとも。食べたことあるからね。

当時の私はもうすっかり大人で、ロシア語だって今となっては信じられないくらいに達者であったのだけれど、「地下鉄で行くのよ、どの駅で降りるかわかる? 駅を降りたら可愛いイラストのある看板に沿って歩けばいいわ」と懇切丁寧に教えてくれる。ええ、ええ、知っています。行ったこと、ありますから。それにしても美人だなあ~、このひと。

その夜は、地下鉄を乗り継いでボリショイサーカス劇場に向かった。ドーナッツはとても懐かしい味がした。ステージの象はとてつもなく大きかった。

母からの葉書に印刷されたマルク・シャガールの絵には、3人のピエロが浮かんでいる。ああ、このピエロたちに会いたいなあ。会って話をしてみたいなあ。モスクワに暮らした数年のあいだに一度もニクーリンのサーカスを観なかったということが、ささやかな寂寥感をともなって今でもこころの奥底にくすぶっているのである。そうしてときどきちくちくと私の内側を刺してくるのである。

(2016年)