地域冊子のインタビューで、「100の質問」というのに答えたことがある。
質問のひとつに「もらってうれしいプレゼントは?」という項目があり、ひじょうに困った。
私は、こういう質問にはわりとサクサク答えが出る(すきな季節は? すきな音楽は? 学生時代の罪は? など。これにはそれぞれ「冬」「チャイコフスキー」「すきでもない男性とふたりで野球を観に行った」と答えた)のだけれど、この「もらってうれしいプレゼントは?」のところで、はたとペンが止まってしまった。
「もらってうれしいプレゼント」って……、プレゼントなんだから何をもらったってうれしいに決まっているじゃない。プレゼントしてもらえること、ただそれだけで最高にうれしいことなのだから。
かといって、「何でも」と書くのはつまらない(読者だってつまらないだろう)(質問者だって承知であろう)。うーん、困った。なんと書こう。
こういうときはいったんペンを置いて、珈琲を淹れるに限る。
やかんで沸かした湯を、注ぎ口の細いドリップ用のポットに移し替え、ドリッパーをサーバーにのせてフィルターをセットする。
珈琲はどれにしよう。私は、この、「珈琲はどれにしよう」という時間をとても愛している。気に入りの珈琲豆(粉に挽いたもの)を幾種類も常備している。酸味の少ない、深く煎ったものがすきだ。
「きょうはどの豆にしましょうか」
「これにしましょう」
と、ひとりでやりとりするひとときは極上である。
このまろやかな苦みの「クラシックブレンド」は、幼なじみからの贈りもの。フェアトレード(発展途上国での過度の児童労働や、先進国からの買いたたきをなくし、人道的な環境と適正な価格でおこなわれた貿易)のものだ。
これを彼女から手渡されたとき、とてもうれしかった。途上国の生産者を助けたいという気持ちももちろんあるけれど、慌ただしい日常のなかでも自分の倫理観を見失わずに生きてゆきたい。倫理基準をしっかり持った生活者でありたいといつも願っているから。
そうだ。これ。これです。プレゼントには、これをもらうとうれしいです。
「もらってうれしいプレゼントは?」
「フェアトレードのコーヒー(粉)」
(2016年)