Essay
エッセイ

脱いで、洗って、乾かして

脱いで、洗って、乾かして、取り入れて、繕って、アイロンをかけて、たたんで(もしくはハンガーにかけて)、しまう。

これまで、洗濯にまつわる一連の作業を、どうにかしてひとところで済ませるわけにはいかないだろうか、ということに意識を集中しつづけてきたように思う。だって、洗濯にかける時間と労力たるや、毎日ものすごい量なんですもの。

私は、洗濯に命をかけたいなんて、つゆほども思っていない。いないのに、洗濯にかける時間的、精神的エネルギーは四六時中、私のなかから費やされており、これでもかというほどに私の生活をいためつける。

もちろん、洗濯は大事だと思う。
それはしっかり、そう思う。

洗濯しなかったときのことを考えると、居ても立ってもいられないでしょう。もしも洗濯しなかったら洗濯ものは溜まるいっぽうだし、汚れた衣類をそのまま放置していたら清潔が保てないし、洗濯済みの衣類がないとなれば着るものがない。なによりも「ああ、洗濯しなきゃ」という気がかりは精神衛生上よろしくない。

とはいえ、結果さえともなっていれば、その手順や労力はもっともっと省いてもよいのではなかろうか。と、常日頃から感じている次第である。

東京では10年間、ビルの一室に暮らしていた。そこはワンルームで、玄関を入ればすぐと部屋じゅうすべてが見渡せた。

キッチンのシンクもガスコンロも、キッチン脇に置かれた洗濯機も、メイキングが中途半端なベッドも、ベランダに干しっ放しの洗濯ものさえも、ほんの2~3歩タタタと歩いて手を伸ばせば届くところにあった。クローゼットやトイレや浴室だって、扉さえ開けておけば奥まですっと丸見えだった。

そんな狭き部屋に住んでいたにもかかわらず、入浴するときには洗濯機のあるキッチン脇で服を脱がなくてはならない(脱いだ服を洗濯機に入れたあと、5歩も歩かないとお風呂に入れない)、というのが気にくわなかった。

洗濯機をまわしたあとも、洗い終えた洗濯ものを4歩も歩いてベランダまで運ばなくてはならないことにうんざりしていたし、取り入れた洗濯ものをどうこうするのにも手間取っていた。

だってほら、乾いた洗濯ものって、ボタンが外れていたら縫いつけなくてはならないし、皺が寄っていたらアイロンだってかけるでしょう。裁縫道具を引き寄せたり、アイロンとアイロン台を引っ張り出してきたり……、この手間はかなりのものなんですってば。

ようやくそれらを終えても、まだ、たたんだり、ハンガーにかけたりして(たたんだものはチェストの引き出しに、ハンガーにかけたものはクローゼットのバーに)、それぞれしまわなけりゃならないんですよ。

毎日のことだからすっかり習慣になってはいるけれど、洗濯には相当な手間がかかるってこと、あなただってうすうす勘づいているのではないかしら。

これをうまく解決するにはいくつか方法があるはずで、まずはおおもとである住まいの設計をどうにかすればなんとかなるのではないか、という淡い期待からはじまった、私の家づくり。

だから、住宅メーカーの営業マンやモデルハウスの案内嬢に「どんなお住まいをご希望ですか?」と聞かれるたびに、「脱いで、洗って、乾かして、……」と、話しはじめるのでした。

———

  しろたえの足袋を漂白する今も世界経済まわりておらむ / 鑓水青子

(2018年)