Essay
エッセイ

毒りんご

また毒りんごを食べてしまった。
そんな夜は、あなたに会いに行く。
一日分の食事をすっかり作ったぞ。
そんな朝も、あなたに会いに行く。
 
上京したてのころ、ここは東京だというのに、友だちも知り合いもいなかった。
仕事も持たなかった。
それなのに、ひとりになりたいというときがあった。
そんなとき、あなたの膝はいちばん居心地がよかった。
 
あなたは、いつでも私のすべてを受け入れてくれた。
どんなことを話しても傾聴してくれたし、何も話さなくても促さなかった。
いつだって、寛大で、力強く、美しかった。
いつも、ただそこにいるだけ。
何があっても、どっしり構えてそこにいる。
どんな光景をも受け入れて、否定することはない。
そして、何ものにも負けない。
 
私も、そんなふうになりたかった。
しなやかな強さがほしかった。
今も、変わらずそう思う。
 
だから、10年前、私の妊娠がわかってすぐ、夫が
「男だったら、幹(みき)って名づけよう」
と言ったとき、どきりとした。
どきりとして、絶句した。
絶句したまま、動けなかった。
 
私があなたに会いに行くのは、たいてい夜も深まってからか、夜が明けるほんのすこし前。
誰にも知られずにそっと。
 
あなたに思いを寄せていることを知られる筈はないのに。
無骨で不器用なふりをして、いったいいつのまに、夫は。
それとも、ただ運命的に同じものをみていたのか。
 
「しっかりと大地に根差して、どっしり真っすぐ上に伸びて、空に向かって広がりもあって……。鬼子母神の大公孫樹(おおいちょう)みたいだろ」

何も応えることができなかった。
幹という名を、本当は即、気に入ったのに。
あなたが子の名の由来になるなんてかっこいい、って思ったのに。
がんばって産むね。って、言いたかったのに。
 
朝のくだものは金、昼のくだものは銀、夜のくだものは毒。
 
私にそう教えたひとは誰だったろう。
そのせいで、夜にりんごを、バナナを、プラムを、みかんを、食べてしまったとき、私は決まって落ち込むのである。
 
けれども、いつしか、それをあなたに会いに行く口実にしながら、きょうもまた。
毒入りのくだものをほおばるのです。
 
(2014年)