ココアをもらった。
誰に?
知らないひと。
え?
スーパーマーケットで私の前にレジを済ませたひとから、ココアをもらった。
缶入りの純ココア。
私が暗い顔をして惣菜のメンチカツやら春巻きやらカップ焼きそばやら麦チョコやらコーヒーゼリーやらペットボトルのミルクティーやらぶどう味の炭酸飲料やらをカゴに詰め込んでいたら、親切なおじいさんが声をかけてくれたんだ。
「そんなものばかり食べたり飲んだりしていては、精が出ませんよ」とかなんとか言って。
「あ、いえ、これは、そこの大学病院に入院している夫が所望したものなんです」あたふたしながら言い訳めいたことを口にする。
夫はいま、3年前に患った食道がんが再発して、抗がん剤と放射線による治療を受けている。おいしいものを食べることと、愛すべき仲間とともに大好きなお酒を飲むことが生きがい、みたいなひとだ。辛い治療を受けながらの流動食には閉口していることだろう。
入院初日から、「あれが食べたい」「これが食べたい」「何が飲みたい」とひっきりなしに電話やラインで訴えてくる。そのたびにすべてを聞き入れて差し入れるわけにもゆかず、日に一度、こうして買い物をしたり、手ずからこしらえたりして持ってゆく。
だいたい朝の10時半過ぎ。
その日の面会が終わってから翌日の面会までのあいだに夫が食べたいだの飲みたいだの言ったものたちをリストアップして、持ってゆく。実際には、そのうちのどれも食道を通ることはできない。だから、本当は何も食べられないのだ。それでも本人の気が収まるならいいじゃないか、と、黙ってリストのすべてを持ってゆく。
そんな話をしたら、
「あなたも大変だねえ。ココアでも淹れて、たまにはゆったりお過ごしなさいな」って。
たったいまレジを済ませたばかりのココアを差し出してくれる。奥さまから頼まれたものかもしれないのに……。もう、泣きそうである。
泣きながら淹れるココア。
感謝しながら飲むココア。
夫が退院したら縁遠くなる町のスーパーマーケット。
そこで知り合った束の間の恩人。
でも決して忘れ得ぬひと。
ありがとう。
ココアのおじいさん。
本当にありがとうございます。