Essay
エッセイ

とんできた朝顔

春にまいた種が芽を出して、着実に成長している。

今年は梅雨入りしてからずっと雨がつづいていたから、ここのところちゃんと見ていなかったなぁ。今朝、何日ぶりかの雨があがって、庭に出てみると、朝顔も、ツルレイシも、紫蘇も、みんな葉をいっぱいに広げようとがんばっている。じゃがいもなんて、花まで咲かせて。けなげだなぁ。

5月のはじめに種いもを植えたときは、まさかじゃがいもが成るなんて半信半疑だった。それが、土から芽を出して、茎をのばして、花までだものなぁ。

じゃがいものことは、またいずれ記すことにして、きょうは朝顔のことを書きます。

5月の半ば過ぎだったろうか。
小学4年生の息子が、科学の実験に熱中していた折りのこと。

ものの性質(酸性・中性・アルカリ性)を調べるのに、いろいろなものが指示薬として使われるのだと知り、植物の色の変化もまた指示薬となりうることを覚えた。

リトマス紙はリトマスゴケという植物の液を濾紙にしみこませてつられたものだし、理科の実験でもムラサキキャベツのゆで汁を使うことは広く知られている。

息子のことだから、ツユクサや朝顔(赤色)、葡萄やバラ、赤紫蘇でも調べることができると知ったとき、即座に試してみたいと思ったのだろう。

すぐに「ムラサキキャベツ買ってきて」と言う。「はいよー」と私。「あと、もし朝顔の種が売ってたらそれもお願い。赤い花を咲かせるやつ」「ほーい」と私。

近所のスーパーを2軒まわったが、ムラサキキャベツはどちらにも置いていなかった。朝顔の種も。

残念がっている息子に、「今度の日ようび、ばぁばにホームセンターへ連れていってもらおう」と約束して、その日はひとまず実験を終えたのだった。

2日ほど経ったある日、庭で蜘蛛の巣を払っていると、隅のほうに、植えた覚えのない朝顔らしき双葉が芽を出していた。

「おや?」
「息子が植えたのか?」
「いつのまに……」

学校から帰った息子に問うてみると、まるで知らないとのこと。「知らない」と返事しながら、大急ぎで庭に出てゆく。そして大声で叫ぶ。「ほんとだー。すげー。種がどっかから飛んできたんだ。念ずれば通ずだー」とひと息に言い終えて、「おれ、大事に育てるよ」と。

そうして毎朝、毎夕、米のとぎ汁をやって、可愛がっている。「お願い、赤い花を咲かせて。別に青でもいいけど。でもできれば赤にして」なんて声をかけながら。

息子のそんな姿を見ていると、「念ずれば通ず」というのは本当かもしれないと思う。本当かもしれないけれど、いつもいつも叶うわけではないだろう。そしてそのことも、子どもごころにわきまえているのだな、と思うことである。

(2020年)