Essay
エッセイ

もやしのごんべえ

さっとゆでたもやしをざるにあげ、しょうゆと米酢とすりおろしたしょうがであえる。きょうのつまみが完成した。日本酒が大好きな私だが、ふだんは2合と決めている。2合という量には、これくらいの簡単なつまみがちょうどいい。

台所の隅でしなびてしまいそうなもやしを見て、思い出したのだ。小学2年生のある日、夕食の準備をしている母のもとで遊んでいたときのことを。

「これ、なんやの?」
「もやしよ」
「もやしの、なんていうお料理?」
「名前はないけど」
「名無しのごんべえか。そんならこれは、もやしのごんべえや」
「ええ名前やね」

20代、放送局のニュースセンターで報道ディレクターとして働いていた私は、「枠」と呼ばれていた。

夕方7時のニュースを流したあと、打合せを兼ねて食事に出る。突発的な事件や大きな事故が発生しない限り、そのまま場所を変えて飲みに行く。夜10時のスポーツニュースに間に合うよう、局へと戻る。深夜1時になって仕事が完全に引けると、仕切り直して飲む。明け方まで飲みつづけたら、そのまま新しい一日がはじまる。そんな生活を送っていた、若い時代の話だ。

新人としての修行がはじまったころは、こんな生活が習慣になるなんて思ってもみなかった。そんな生活のはじまりの夜、私は注がれるままに酒を飲んだ。どんどんどんどん注がれて、どんどんどんどん飲みつづけた。

飲んだあと、そのまま局へ連れ戻されて次から次へ降ってくる仕事をワタワタこなしている私を見ていた先輩が、「枠やな、ざるの編み目すらない。あいつは枠や」と感心してくれたのだそうだ。以来、私は枠と呼ばれるようになった。

初日にとどまらず、その後もずっと枠スタイルを貫いた。私にとって、それは当たり前の飲み方だった。

ところが、この職場を退いたとたん、ぱたんと飲めなくなった。

今、私のことを「枠」と呼ぶひとはいない。

今夜はひと肌燗(※)にしてみようか。徳利を火にかけていると、3歳の息子がやってきた。

「これなあに?」
「もやしのごんべえよ」
「ごんべ?」
「そう、ごんべえさんよ。ちゃんと名前があるの」
「ごんべさん。おいしぃ!」

(2015年)

※ひと肌燗……35℃前後のぬるめの燗酒。