Essay
エッセイ

気がつけば、ロシア

私がロシアでの暮らしにあこがれはじめたのは、いつのころだったか。

そのきっかけやはじまりがどうであったか、まるで憶えがないのだが、相当に幼い時分から恋い焦がれていた。小学生のころはチャイコフスキーの交響曲を聴いていたし、レニングラードのバレエ学校に通うためにはどうすればよいかと本気で策を練っていた。しかし、そのころのロシアはソ連と呼ばれており、今ほどの自由はなく、(外国である日本では)まだまだ独裁政治がつづいていると考えられていた(おそらく)。

私は政治や経済がわからない。だから、「あんな恐ろしい国、行くもんちゃうで」とたしなめられても、プロコフィエフの「ピアノ協奏曲第二番」やボリショイバレエ団の「白鳥の湖」やトルストイの『戦争と平和』にどっぷり浸かっていた身には、いったい何が恐ろしいのか皆目見当もつかなかった。だって、かの国はこんなにすばらしい芸術や文学を世に送り出しているではないか。これは決して罪ではなく、明らかに功績である。それなのに、なぜ、大人たちはこぞって私のロシア好きを非難するのか、なぜ、私のロシア行きを阻止するのか。

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やがてソ連は新生ロシアに変わり、そのロシアが新生でなくなったころには私はすっかり大人になっていて、浅いながらも日本の社会を経験したのち単身モスクワに渡った。

ロシアは、思い描いていた以上に広く、美しく、寒かった。たどりついたモスクワは、なんとも厳かな街だった。私はこの地で、仕事を求めるでもなく、恋を楽しむでもなく、旅人を装うでもなく、ただ暮らしつづけた。ただここに暮らすことが、私の夢であったから。

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気がつけば、季節はめぐり、歳を重ね、ロシア語が達者になった。

そしていつのまにか東京に来ていた。ロシア語はすっかり忘れている。

ひとりになったら(そんなことは考えたくもないけれど)モスクワで暮らそう。
と、決めた、今。