Essay
エッセイ

庵さす

人生のなかで「庵さす」ということができたら、どんなにかすてきだろう。
 
そんなふうに思いながら日々を過ごしてきた。
そして今、願いは叶い、ここに「爐湖々庵(ろここあん)」が建った。
 
都会での暮らししか知らない私が唐突に田舎暮らしをはじめることに抵抗を示すひとや反対するひとはひとりとてなく、私自身の勇気さえあればいつでもはじめられそうであった。
 
この地に「爐湖々庵」を建てようと決めたときの懸念はたったひとつ、これまで都心の狭っくるしい部屋で快適に暮らしてきた私が、急にそんな田舎のだだっぴろい家に移り住んで、果たして精神の安定は保たれるであろうか、ということに尽きた。

この懸念と、どうしてもやってみたいという強いあこがれとを天秤にかけ、日夜その天秤を見つめつづけた。天秤は、左に大きく傾ぐこともあれば右に深く落ちることもあり、また穏やかに均衡を保つこともあった。
 
そうやって長きにわたり両者のあいだで揺れていたが、ある日を境に右側が下がることが増えた。つまり、「どうしてもやってみたいという強いあこがれ」の比重が大きくなっていったのである。
 
自分で設計した家に暮らすということ。
湖のほとりで暮らすということ。
湖にはヨットを係留し、いつでも思い立ったときにクルーズできる奔放さ。
 
この地に爐湖々庵が建ちさえすれば、望む暮らしと自由な時間はたやすく手に入ると信じることができた。
 
「よし!」と決めてからは、まるでこの地に引き寄せられるようにすいすいとことが運んだ。
 
そうして今、思い描いたとおりの住まいが目の前にある。
 
はじめてなのにどこか懐かしい風景が今、目の前にあるのだ。
思い出であるような、あこがれであるような、何とも言えない不思議な心地。
 
そんな土地で、新しい人生をはじめます。
 
いつでも遊びにいらっしゃい。
 
庭のおおきな公孫樹には「爐湖々庵」という札を提げておきました。
あなたの好きなお酒を用意して待っています。
さあ、囲炉裏に火を入れて話をいたしましょう。
 
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  電波時計の針ゆるやかに狂い出し新生活ははじまりてゆく / 鑓水青子
 

(2018年)